神木隆之介さんが出演している映画”桐島、部活やめるってよ”をがっつり見ましたのでその感想をまとめていこうと思います。
「桐島、部活やめるってよ」の登場人物
スクールカーストや現代の教育現場での生きづらさなどを描いた作品であり、現代でしか撮れない作品だと感じました。
リア充は皆が「楽しんでいるように見せかけている」し、非リア充はそれに憧れながらも「自分たちの方が上」だと確信している。
中間地点にいる者は普通でいられる幸福に気づいていない。
そんな気持ち悪い今の高校のリアリティーを描いています。
物語としては複雑です。
しかし、その中で目立つ存在は三人です。

- タイトルにいるだけで姿が一切、撮影されていない「桐島」。
- 演技派の神木隆之介さんが演じる「前田良也」。
- 桐島のことを理解しようとする「菊池宏樹」。
この三人以外は「環境」でしかありません。
人間は仲間の人ですら「環境」に変えてしまします。
そして、驚くことにこの物語で誰も変わっていないのです。
クズなクラスメイトはクズなままですし、リア充ぶっていて何もない空虚なクラスメイトはそのままですし、全てが嫌になるほど全てを変えられない状況は何も変わりません。
ただ、映像が流れていくだけです。
この映画で最も印象に残ったシーン
この作品で最も印象に残ったのは、自分勝手な理由で撮影を邪魔して桐島の捜索をしようとする運動部に映画部が一段となって対抗して必死の覚悟で映画撮影をするのですが、その後、運動部にボコボコにされてしまいます。
その後、別れ際、菊池宏樹は質問をします。
「お前、映画監督とか目指してんの?」
訊かれた前田良也がこれはもう渾身の演技なのですが、激怒しているわけでもなく、興奮しているわけでもなく、それでいて諦めている様子でもなく、もう心からの素の状態で、答えます。
「全然!」
そして、続けます。
「だって、映画監督なんかなれるわけないし、それで食っていけている人なんてごく僅かだし、普通に就職するに決まっている」
そう、菊池宏樹の最後の希望を前田良也は打ち砕いたのです。
何事にも本気を出していない。
それでも何となく生きている。
そして、何となく欲望に満たされている。
だけど、そこに幸福はない。
そんな中、ばったりと出会った「頑張っている人」に、その原動力を知れば何かが変わると思ったのです。
しかし、その答えはあまりにもありふれたものでした。
生きにくい現代を描いた傑作
個人的には神木隆之介さんの演技が光る映画だと感じました。
この演技がなかったら、映画は成立しなかったでしょう。
そして、宣伝ポスターの表紙も神木隆之介さんです。
誰が主人公というわけでもない。
だけど、平成生まれの人なら「自分もこんなことしていたなあ」とチクリと胸を刺す作品です。
逆に言えば、平成生まれでなければわからない心理描写も多いかもしれませんが、ネットの普及によって急速に欧米化が進み個人主義に発展しています。
ちょっと昔なら筋肉質な男はゲイだと思われていたのですが、今では筋肉を見せびらかすのも個人の個性と捉えられています。
その逆にテレビ局は多くの外国諸国からお金をもらって独裁主義者化してします。
北朝鮮が豊かで素晴らしい国だとテレビ局では偶に放送されますが、そんな国、日本だけです。
また、無知なコメディアンだけがコメンテーターを努めて、コメントを操作しているのも日本だけです。
そのせいで、多くの社会が「生き辛さ」を感じるようになっています。
そうした意味では共感できる部分もあるでしょう。
桐島が部活を止めた理由。
それは、
という諦めた感じのどんなに人気者であってもどんなにモテても「この場所に居場所はない」と普通の人なら思わせる「環境」にあるのだと思います。
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